その参 「馬術の達人 遊佐幸平氏の墓」

                   遊佐幸平氏は明治16年 鳴子湯元で生まれました。
                   東京幼年学校在学中から馬術に優れ、日本の伝統馬術と西欧の
                   近代馬術から新しい馬術の枠組を作り、馬術の革新に貢献しました。
                   鳴子の誇り、国の誉れとして数度のオリンピックに臨み
                   【世界のユサ】としても馬術を志す人々から敬愛されました。
                   晩年帰郷すると、この末沢の遊佐善伍氏宅に滞在し
                   「山紫水明の鳴子で死んでいきたい」と語られていたそうです。
            
                   御霊は参道正面に眠っています。









その四「義経手植えの判官ヒバ」
  
  
  
  参道左手のヒバには謂れがあります。
  義経主従が当地に逗留していた折のある晩、
  弁慶の夢枕に弁天淵の主が現れ、
  「この里のおちかという女人が出産間近、一夜の豪雨に川氾濫し、
  家諸共濁流に呑まれ、あたら命を失い迷っている。
  骸は己に預るが霊を祭り給え」
  義経公はおちかの霊を慰めんと、自らこのヒバを手植えされた
  と言います。

  その後このヒバは穢悪を祓う厄除けの大樹となりました。
  【鳴子の文化財」に判官ヒバが記されています。





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